地方エンジニアの学習日記

興味ある技術の雑なメモだったりを書いてくブログ。たまに日記とガジェット紹介。

変わらないことは緩やかな死

散歩をしていたら、あたり一面に落ち葉が積もっていた。ついこの前まであんなに鮮やかだった紅葉も、いまは地面を覆う茶色の層に変わっている。光に透けて輝いていた葉も、風に吹かれて乾いた音を立てるばかりだ。季節が確かに進んだのだと、足元の感触で知る。

ほんの少し、残念な気持ちになる。なんなら雨を吸ったのか歩きにくくてイラッとさえする。こんなことならあの美しいままでいてくれたらいいのに。ずっと紅葉していたら、どんなに嬉しいだろう。

けれど、もし紅葉が永遠に続いたら、きっと誰もそれを「美しい」とは思わなくなるのだろう。変わらないものは、やがて風景の一部になって、目に映らなくなる。ずっと輝き続けることは、同時に“死んでいる”のと同じなのかもしれない。

変わらないことは緩やかな死

変化は、痛みを伴う。散歩のたびに季節の終わりを感じて、少し寂しくなる。でも、その寂しさの裏には確かに「次」が待っている。冬の匂いがして、空気が澄んでいく。そしてまた春になれば、芽吹きの色に心を奪われるのだ。

変わらないことは、一見安心に見えて、実は緩やかな死だ。同じことを繰り返しているようでも、その中に小さな変化を見つけていかないと、生きる実感が薄れてしまう。

サービス運用も同じで、変わらない仕組みは少しずつ腐っていく。“安定”の裏で静かに老化していくのだ。痛みを伴ってでも更新し続けることが、信頼を維持する唯一の手段なのだろう。

そんなことを考えていたら、肌寒さに気づいた。気温は10℃。もう半袖短パンの季節ではないのかもしれない。紅葉が散り切って冬が来る前に、自分もまた季節に合わせて変わっていこう。まずは服を買うところから…。

雑談は難しい

私は雑談が苦手だ。オフィスにいても、自然発生する雑談に乗っかっていく程度で、得意な方ではなかった。リモートになってからは、その苦手意識がさらに強まっている気がする。なぜ自分は雑談が難しいと感じるのか、少し考えてみた。

リアルタイム性が求められるフリートークが難しい

登壇は好きだ。自分が話したいテーマを、30〜40分間、誰にも遮られずに話せるなんて最高だと思う。勉強会の懇親会も好きで、スピーカーに話を聞きに行ったり、登壇していたら質問してもらえたりするのも嬉しい。だから、話すこと自体は多分好きなのだと思う。ただ、これは事前に準備できるからこそ楽しめるという側面がある。雑談はフリートークだ。準備ができない。その場の流れを読み取りながら、自分の考えを整理して発話する。しかも会話のテンポに合わせて“自分のターン”が突然回ってくる。これが本当に難しい。 話すネタがないときは、気づけばROM専になって、ただ聞いているだけの人になってしまう。雑談という“プレイヤーの輪”の外側に立っているような感覚になるのだ。

自分の話が何かを与えられないと考えてしまう問題

雑談自体は嫌いではない。むしろ昔は好きな方だった。オフィスにいた頃は、誰かが話している輪に自然に混ざることもあった。ただ今思えば、それは自分が得意な領域の話題のときだけ参加していた気がする。 「自分の話が相手にとってプラスになりそう」そう思える時だけ話に入っていた。 逆に、そうでない時は「特に面白い話もないし、話さなくてもいいか」となってしまう。自分の話が誰かに価値を与えないなら、沈黙していた方がいいと思ってしまうのだ。この「雑談にも貢献しなければならない」という無意識の縛りが、会話をさらに難しくしている気がする。

雑談をする意味

苦手なら避ければ良い――そう思うこともある。

雑談をしなくても、仕事はできる。チャットツールで用件だけを伝えれば進行もする。わざわざ気を使って話題を探す必要もない。用件だけの会話は効率的ではあるけれど、人と人の間にある「温度」みたいなものが抜け落ちてしまう。そこには信頼も冗談も、ちょっとした安心感もない。雑談には、直接的な成果はないかもしれない。けれど、雑談を通してしか生まれないものが確かにあると最近感じる。 たとえば、相手の表情から“今少し疲れているな”と気づけたり、自分の何気ない話が誰かの緊張をほぐしたりする瞬間。そういう小さな積み重ねが、関係をゆるやかに強くしていく。雑談は、信頼の前提をつくる行為だと思う。雑談は成果ではなく、土壌だ。本題や建設的な議論が根を張るための、目に見えない大地みたいなもの。

「向き合っていこう」そう思いながら雑談が発生しそうなイベントの出欠確認に欠席と印をつけた。

転職して1年が経った

早くも1年が経った。変化とかに絞ってつらつらと文章を書いてみようと思う。

音声対話システムのEmbedded SREになった

大きな変化の一つ。直近はo11yの実装をやっていっている。音声対話システムはとても面白くて難しくて大変だが周りにすごいメンバーがたくさんいて学びながら挑戦していっている。音声対話なので自分の書いたコードの途中で割り込まれたり戻ってきたり1トランザクションがめっちゃ長かったりとwebアプリケーションとは違ったノウハウがたくさんあって戸惑いながらもなんとかやっていたりする。

WebSocketを実装したりVoIPを学んだり非同期に入門したりしながらやっている。最近だと障害訓練みたいなのでAIサービスを自前でホストしているわけではなくてコントロールできないところで障害が起きたらどうなるん?みたいなのをやったりした。音声対話面白いです。

非同期処理も面白いです。何もわかって無いですけどwasyncioと仲良くなるために頑張っています。

フルリモートっぽくなった

東京大好きで隙があれば月2~3くらい出社していた1年前と比べて最近は半年くらいで2回の出社になった。それなりの理由があれば出社することも可能なので行こうと思えば行けるのだが出社しないのがデフォルトモードになったのか腰が重くなってしまったw

メリットは移動時間がそのまま可処分時間になるので捗っている。金曜に出社して土曜に帰るとそれだけで土曜の半日くらいが潰れるみたいなのがなくなったのはだいぶ大きい。

変わったものとしては帰属のベクトルが会社全体から技術×プロダクトにシフトしていっている気がする。技術的にも面白い課題がたくさんあったり優秀なメンバーがたくさんいて多くの議論が生まれていて楽しく働けている。一方で同時に全社イベントや動きへの熱量は自然減しているのも感じている。会社のオフラインイベントが自分のカレンダーに数ヶ月単位で何も入っていなくて驚いた。

昔はどうにかして理由をつけて出張したりしていた時期もあって変化したなぁと思う(行かなくても良いのに4週連続日帰り府中DC出張とかあれはあれで楽しかったw)

以前は場所が与えてくれる熱に支えてもらっていた感覚があったけど、今は自分の内側から出てくる熱で楽しめているという変化があったとしてそれはそれでいいことなんだろうと思う。

こういう自己分析することってあんま無いので働き方への見直しタイミングにもなったりしていい機会だった。

終わりに

2年目もやっていきます。

【SRE】プロセスがレイテンシーになるとき

rootly.com

「プロセスがレイテンシーになるとき」とは、インシデント対応のプロセスや手順が過剰に詳細または複雑すぎると、迅速な対応が遅れ、問題解決に時間がかかる状況を指します。過度に規定された手順や承認プロセス、情報整理の遅延が対応を停滞させる原因となります。

簡潔で柔軟なプロセスが重要だよねという話。